1998年7月5日、香港啓徳機場のラストデーを、私は現地で過ごしました。その時の模様をご紹介します。言葉では表現できない様々な思いがありました。
私の啓徳最終日は、CX250(ロンドン→香港)便で始まった。ロシア上空ルートなので定刻より若干早く到着。日本語のアナウンスでは「本日啓徳空港の最終日でございます。次回は新空港チェックラップコックでお会いしましょう」とあったが、英語では特に最終日らしいアナウンスはなかった。
ランウェイ13、つまり香港カーブで到着。何度来てもこの着陸は感動する。これも今日限り、最終日に乗れた喜びは大きかった。
CX250便は8番ゲートに到着。ボーディングブリッジからの降機となった。入国審査、バッゲージクレーム、税関と何度となく通った啓徳のターミナルも今日でおしまい、記念撮影の列が絶えなかった。
ロンドンで羽を休める最終日の啓徳へのシップ&コクピットからの香港カーブ(95年3月のもの)
私の11回目の香港カーブでした。
8番スポット出口&到着客通路
香港入国前には必ず迎えてくれました。
入国審査場
長蛇の列に悩まされたことも数知れず。これもまた良い思い出でした。
バッゲージクレーム
パタパタボードが最後まで現役だったバッゲージクレームエリアでした。
税関を越えて
晴れて香港入国。あとは到着ロビーへ向かうだけ。
到着ロビー
この日も多数の人が出迎えに来ました。ここが香港への第一歩でした。
到着してみると心配された立ち入り制限は最小限であった。とりあえずアビエーションクラブ南側まで行くが、相当な人でなかなか進めない。15時半まで写真を撮って、ホテルにチェックインした。
ターミナルからアビエーションクラブへ
多数の人が最後の着陸を見守りました。
アプローチ&タッチダウン
見慣れたこの光景もこの日で見納め。
ホテルに荷物を置き、再び出発。何度となく出かけた某マンション11階へ。11階はどうにもならない混雑だったが同じ建物の別のテラスから撮影した。とにかく見晴らしの良さそうなビルの屋上にはほとんどすべてギャラリーが居る。私のテラスには地元テレビ局も来ていた。
「11階」のアパート「至真楼」&11階からの撮影風景
この日は大混雑でベストポイントには近づけませんでした。
ビルの屋上から着陸機を
ビルの屋上にも多数の人が集結しました。
再びアビエーションクラブの南を通って九龍城碼頭へ。途中でカンタスのウナラドリーミングとアンセットのオリンピック塗装を撮影。啓徳の最後を惜しんでいるような組み合わせであった。
九龍城碼頭から北角碼頭へ滑走路の南をかすめながら移動。ちょうど日も暮れ、あと数時間の運命となったところで、フェリー内の広告を発見。HKF主催の"Dating with Kaitak"ツアーである。つまり、HKFのフェリーで空港の近海をクルーズするというものらしい。4日、5日の限定企画のようで、間に合いそうなのは今日の21時発最終ツアーしかないので、速攻で北角の東フェリーピアに行くとまだチケットはあるとのこと。無条件にチケットを買った。
「我和啓徳機場有個約會」と書かれたパンフレットをもらい、参加記念のバックとドリンクをもらう。船は北角碼頭から九龍城碼頭まで止まったり動いたりしながら移動。あらゆる飛行機が離発着する。カンタスが、JALが、JASが、スイスエアが、そしてもちろんキャセイが、ドラゴンが、最後の啓徳への着陸を済ませる。そして最後の離陸をしていく飛行機たち。タワーとの交信の中にも惜しむ言葉が織り交ぜられた。
九龍城碼頭からフェンスに沿ってターミナルへ向かうと、NIFTYの友人5人と遭遇。滑走路脇で最後の離発着を見送る。23時38分、最後の着陸機であるドラゴン航空841便、重慶線のA320(B-HYS)が到着。70年以上にわたる香港カーブの歴史の幕が閉じられる。もう2度とあのダイナミックな着陸シーンを見ることはできないのだ。
そして0時ちょうど、最終の出発定期便であるキャセイパシフィック航空251便ロンドン行きのB747-400(B-VOH)が出発。いよいよクライマックスである。その後、新空港へのフェリーフライトが次々と出発。1時3分、最後の離陸機、キャセイ3334便のA340を見送ると、滑走路の灯が消された。啓徳の長い歴史がついに終わったのである。
私個人を飛行機に、そして海外旅行に没頭させるきっかけとなった香港啓徳機場。これほど魅力的な空港が現れることはないだろう。
カンタスオーストラリア航空ウナラドリーミング
さすがカンタス、演出してくれました。
空港周囲の通りから
この至近距離の迫力が啓徳の魅力でした。
船からの啓徳最後の夜景&乗船チケット
すばらしいHKFのツアーでした。
最後まで帰らない人々&離陸スタンバイするカナディアン航空機
1時過ぎても多数の人が啓徳を見送りました。
対岸から見た最終日の夜景&閑散としたエプロン地区
森田雅浩さん提供
主の居なくなったターミナル
7月6日、啓徳の廃港を印象づける光景でした。
廃港翌日の新聞:アップルデイリー(蘋果日報)など
蘋果日報は紙面一杯にウナラドリーミングの最後のアプローチを掲載。
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